2026年10月1日から、カスタマーハラスメント対策がすべての事業主の義務になります。制度の全体像は前回の記事で整理しましたが、実務でいちばん手が止まるのは「で、記録って具体的にどう作ればいいの?」というところです。この記事では、対応記録・周知証跡・責任者確認を、スプレッドシートで作る方法を実装レベルで解説します。
この記事で説明する仕組みは、ブラウザで実際に触れるデモを公開しています。入力して押すと記録IDと日時が自動で付くところまで、その場で確かめられます。
なぜ「記録」が実務の核心になるのか
記録が無いとどうなるかは、他の制度の処分事例が具体的です。技能実習の認定取消8者の理由を全部読んだ記事では、最も多くの計画を失った1者の理由が「虚偽の帳簿書類の提示」でした。
指針で求められる措置は、方針の明確化・周知、相談体制、適切な対応、被害者への配慮、再発防止の5つです。ただ、これらを実務に落とすと、ほぼすべてが同じ一点に集約されます。「やったことを、後から示せるか」です。
方針を作っても周知の記録がなければ「周知していない」と評価されかねません。相談に丁寧に対応しても、記録がなければ行政調査や紛争の場面で説明できません。逆に言えば、記録の型さえ最初に決めてしまえば、あとは「起きたら書く」だけになります。
対応記録に必要な6項目
難しい様式は必要ありません。1件につき、次の6つが残っていれば十分です。
- いつ:発生日時(対応した日時も)
- どこで・誰が:場面(店頭・電話・訪問先など)と対応した従業員
- 何があったか:相手の言動を、評価を交えず事実で
- どう対応したか:その場の対応、上長への報告
- その後の措置:被害従業員への配慮、再発防止で決めたこと
- 誰が確認したか:責任者の確認
「何があったか」の書き方が、いちばん差が出る
ここだけは書き方のコツがあります。事実と評価を分けることです。
❌ 悪い例:「ひどい態度で怒鳴られた。理不尽な要求だった」
⭕ 良い例:「返品を断ったところ『土下座しろ』と3回要求。他の顧客の前で約20分継続した」
悪い例は、書いた人の主観です。読んだ第三者は「本当にそこまでの行為だったのか」を判断できません。良い例は、行為・回数・時間という検証できる事実だけで構成されているため、後から誰が読んでも同じ像が結べます。行政に説明する場面でも、紛争になった場面でも、効くのは後者です。
この「事実と解釈を分ける」書き方は、介護記録の世界では基本とされている型でもあります(介護記録の書き方の記事でも同じ考え方を解説しています)。カスハラ記録にもそのまま応用できます。
ご自分で作られる場合の設計は下に書きますが、先に形になっているものが必要でしたら。日時・対応者・発言内容・対応・引き継ぎまで、その場で埋められる記録様式と、どこから上長へ上げるかの対応手順をセットにしたキットを用意しています。研修用の資料もついています。
記録・証跡キットを見る → カード決済・購入後すぐダウンロード記入例:1件の記録が実際にどうなるか
6項目と言われても、どこまで書けばいいか迷うと思います。埋めた形を出します(架空の事例です)。
| 記録ID | KH-2026-0031(自動採番) |
| 発生日時 | 2026年10月14日(火) 16:05〜17:40(1時間35分) |
| 場所・経路 | 店頭カウンター(対面) |
| 相手方 | 一般顧客・男性・50代くらい/氏名不明。前日にも同様の申し出あり |
| 要求の内容 | 購入から3か月経過した商品の全額返金。レシートの提示なし |
| 言動の具体(発言のまま) | 「誠意を見せろ」「上を呼べ、帰さないぞ」と繰り返す。店内に他の客がいる状況で30分以上大声 |
| 対応した者 | 店舗スタッフ 佐藤 → 16:30以降 店長 田中が交代 |
| 対応内容 | 規定にもとづき返金不可を説明。閉店時刻を伝え退店を依頼。17:40に退店 |
| 労働者への影響 | 対応した佐藤が翌日の出勤前に体調不良を訴え、シフトを交代 |
| 会社としての判断 | カスハラに該当すると判断。次回来店時は店長が対応し、複数名で応対する |
| 記入者・記入日時 | 田中(店長)/2026年10月14日 18:20 |
ポイントは「言動の具体」を、要約せずに発言のまま置いていることです。「威圧的な態度だった」と書いてしまうと、それは記入者の解釈です。あとから第三者が読んだとき、判断の根拠になりません。
もう1つは「労働者への影響」の欄です。カスハラの定義は「労働者の就業環境が害されること」を要素に含みます。影響が書かれていない記録は、定義の3つ目を裏づけられません。体調、シフトの変更、退職の申し出など、実際に起きたことを事実で残してください。
そして「会社としての判断」の欄。ここが空欄のまま記録だけ溜まっている事業所が出ると思います。措置として求められているのは記録することではなく、事案に応じて適切に対応することです。判断を書く欄があると、書くために判断することになります。
記録はどのくらい残すのか
カスハラの対応記録そのものに、法律で決まった保存年数はありません。ただし実務上は、次の理由から短くとも数年は残すべきと考えています。
- 同じ相手が繰り返すことが多い … 前回いつ何があったかを引ける状態でないと、「初めてのこと」として毎回ゼロから対応することになります
- 労働者から相談・請求があったときの資料になる … 事業主が必要な措置を講じていたかが問われる場面で、記録が唯一の証拠になります
- 方針の見直しの材料になる … どの時間帯・どの窓口に集中しているかは、件数が溜まって初めて見えます
一方で、記録には顧客の氏名・連絡先など個人情報が入ります。閲覧できる人を限る、退職者のアクセスを外す、といった管理もセットで決めてください。誰でも見られる共有フォルダに置いたままにするのが、いちばんまずい形です。
相談窓口は「置いた」だけでは足りません
措置として求められるのは、相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備です。窓口の名前を決めて掲示するだけでは、実態が伴いません。
最低限、次の3つを決めておいてください。
- 誰が受けるか(担当者と、その人が不在のときの代わり)
- 受けたあと何をするか(記録する→誰に上げる→いつまでに返す)
- 相談したことで不利益に扱わないと明言する(周知の文面に入れる)
3つ目は忘れられがちですが、これが無いと相談が上がってきません。相談が0件なのは、起きていないからとは限らないという前提で設計してください。
なお、どうしても社内で解決できない場合、労働者は都道府県労働局に相談することができます。そこに行く前に社内で受け止められる状態を作ることが、措置の目的です。
スプレッドシートで作るときの設計
ここからは具体的な作り方です。ポイントは3つあります。
① 日付は「書かせない」。自動で入れる
証跡の価値は日付です。ところが人は忙しいと日付を書き忘れます。そして厄介なことに、「あとから書き足した記録」と「その時に書いた記録」では、証跡としての重みがまったく違います。
そこで、発生日時を入力した瞬間に「記録ID」と「記録日時」が自動で入る形にします。Google スプレッドシートなら、Apps Script の onEdit トリガーで実現できます。考え方はこうです。
- 発生日時の列に値が入り、かつ記録IDが空なら、その行に ID と現在時刻を書き込む
- IDは「K-年月日-時分秒」のような、重複しない連番にする
- 一度入った記録日時は、後から編集しない(=その時に書いた事実を残す)
関数(NOW など)で日時を入れる方法もありますが、関数は再計算のたびに値が変わってしまうため、証跡には向きません。スクリプトで「値として」書き込むのが正解です。
② 責任者の確認も、日付で残す
記録を取るだけでは足りません。組織として対応したことを示すには、責任者が目を通した事実が要ります。
実装はシンプルで、チェックボックス列を用意し、チェックが入ったら隣のセルに確認日を自動で書き込むだけです。これで「確認していたつもり」ではなく「◯月◯日に確認した」が残ります。月1回など頻度を決めて、責任者が台帳を見る運用にしておくと、再発防止の検討も自然に回り始めます。
③ 周知の記録は「保管場所」までセットで
意外と抜けるのが周知の証跡です。方針を掲示した、朝礼で説明した、マニュアルをメールで配った——これらはやった日付が分かる形で残す必要があります。
実務的には、掲示なら日付が写り込んだ写真、メールなら送信日が分かるスクリーンショットを撮ります。そして重要なのが、その写真をどこに置いたかを記録しておくことです。撮ったけれど後で見つからない、が一番もったいない。
周知証跡シートの列は、この6つで足ります:記録日時(自動)/周知した日/周知の種類/対象/方法/証跡の保管場所。
シート構成は4つに分ける
全部を1枚に詰め込むと破綻します。役割ごとに分けてください。
- 対応記録台帳:出来事が起きたら1行(上記6項目)
- 周知証跡:周知するたびに1行
- 研修受講記録:研修を実施したら1行(実施日・内容・受講者・使用資料)
- 設定:会社名・相談窓口・責任者など、他のシートから参照する情報
「設定」シートを分けておくと、マニュアルの文面生成や各種帳票に会社情報を差し込めるようになり、担当者が変わったときの更新も1箇所で済みます。
マニュアルは「必須項目の対応表」までセットで作る
カスハラのマニュアルには、含めるべき項目があります。目的/定義/基本方針/顧客対応の基本的な考え方/対応フロー/社内体制の整備/企業間取引における対応、の7つです。
実務でおすすめしたいのは、マニュアル本体だけでなく「どの章がどの必須項目に対応しているか」の対応表も作っておくことです。理由は2つあります。ひとつは、抜けのチェックが一目でできること。もうひとつは、東京都の奨励金など制度の申請で、この対応関係の提出を求められる場合があるためです。
なお、東京都の奨励金の要件・様式は年度と回次で変わります。利用を検討する場合は必ず東京しごと財団の最新の募集要項をご確認ください。申請はご自身で行う前提の制度です。
10月1日までにやることの順番
作業量はそれほど多くありません。この順で進めれば、実働2〜3時間で土台ができます。
- 1. 基本方針を作る(厚生労働省のひな形をベースに、自社名と業種の実情を入れる)
- 2. 相談担当者を決め、従業員に伝える。伝えた日付が残る形で
- 3. 対応記録台帳・周知証跡のシートを用意する
- 4. 起きたら記録し、月1回など決めた頻度で責任者が確認する
マニュアルの整備や研修は、この土台の上に載せるものです。まずは「方針・窓口・記録」の3点を10月1日までに揃えることを優先してください。秋は最低賃金の改定、インボイスの控除率変更、社会保険の適用拡大も重なります(10月1日に変わる4つの制度)。
まとめ
カスハラ対応記録の要点は、①6項目を決める ②事実と評価を分けて書く ③日付は書かせず自動で入れる ④責任者の確認も日付で残す ⑤周知の証跡は保管場所までセットで、の5つです。特別なシステムは要りません。スプレッドシートと少しのスクリプトがあれば、「起きたら書くだけ」の運用に落とせます。
実際の動きは触れるデモで確かめられますので、記録の形を決める参考にしてもらえたら幸いです。
※本記事は2026年8月1日時点の公表情報にもとづく一般的な解説であり、法的助言ではありません。制度の詳細は厚生労働省・東京都の一次情報をご確認ください。個別の判断が必要な場合は専門家にご相談ください。